Young Farmers Camp

最終レポート

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大学入学とともに演劇活動を始める。サークル公演での活動を経て、2018年5月に演劇ユニット平成レトロを結成。同年8月『ロミオとジュリエット』(脚色・構成・演出)にて旗揚げ公演を行う。演劇を儀式的なものとして捉え舞台上に立ち上げる演出を行う。

​演出家

​熊谷ひろたか

 今回のYoung Famers Campに参加して痛感したのは「分からない」ということである。

 

 「知らない」ではなく「分からない」。僕は演劇やその舞台芸術に触れ始めてからの期間が短いため「知らない」ことは非常に多いが、それは知識をつけることによって「知っている」状態になれる。一方で、「分からない」ことはそうもいかなかった。分かる状態になるためには、実際に触れてみなければいけない。APAFの期間を通して、YFCのメンバーと話をしていても、LABのメンバーと話をしていても、どこか自分だけ上辺だけの話をしてしまっているなという感覚を持っていた。自分ごととして喋れないのだ。

 

 現在、自分が普段活動している場所はいわゆる学生演劇であるのだが、その話ですら他者的なものになってしまっている感覚がある。そもそも、自分ごととはなんなのだろうか。それに必要なのは、まず、そこに所属している実感だろうか。APAFの中では、日本人のアジアというものへの所属意識がよく取り上げられたいた。他の人たちに関しては分からないが、少なくとも僕自身は自分がアジアの一員としての日本人である感覚は持てていなかったように感じる。今はAPAFを通して他のアジアの人たちと話ができて多少は実感が出てきたような気はするが。しかし、まだアジアの中の一人として話ができる気はしない。アジアとは何か。演劇とは何か。芸術とは何か。自分とは何か。他者とは何か。この期間を通して自分が考えていたことである。

 

 結論から言うとまだ答えは出ていない。当然といえば当然かもしれないが、これらの問いは今後生きていく中でずっと問い続けていくんだろうなと感じている。ただ現状では、これも当然のような答えではあるが、生きるということなのかなと思う。生きる上で、人が人と出会い、その間に何かしらの関係性が生まれ、その結果としてこれらのものが生まれていく。ただ、当然そこには対立が生まれたり、考え方の相違が起こったり、必ずしも良い関係性だけということはない。その原因となるのは、教育や生活、文化などのそれぞれのバックグラウンドの違いだろう。とはいえ、この違いを無理やりに取り払う必要はないように思う。お互いにそういうものだとして尊重しあう、これこそがお互いを「分かる」ということなのではないだろうか。レクチャーの中で、相馬千秋さんがあいちトリエンナーレでアーティストが抗議電話を取ることで、そこに人と人が存在することがわかり、対話ができたというようなことを話されてお り、まさにこれが「分かる」ことなんだろうなと感じた。

 ここ最近僕は、「自分はなぜ演劇をやっているのだろうか」という問いを持ち続けていた。また、そう聞かれた時に、なんと答えれば良いか分からなくなってしまうことが増えてきていた。演劇をやっている時の、そこで初めて見えた景色が好きだから、それを見たいからだと漠然と答えてきていた。これが今回の機会で少しはっきりしたのではないかと思う。つまりは、僕はきっと「分かる」ということを体感したいのだろう。それが少し分かってきた上で、僕はこれをどう観客に共有できるかを考えなければならない。

 

 今回、APAFに参加して強く実感したことの一つに、他のアーティストの人たちに比べ、自分が作品を創ることで何を成し得るかということへの考えが圧倒的に足りてないことが挙げられる。その作品が観客に何を考えさせるか、社会にどう影響を与えるのか。正直な話をすると、最初、この考え方に抵抗があった。何か社会に利益をもたらさなければならないという、資本主義的な考え方なのではないかと思ってしまったからだ。しかし、演劇とは、芸術とはやはり人と人の間に存在するものであり、作り手と観客、あるいは作り手同士の関係を何か変化させていくものであると考えるようになった。

 人と人の間でのやり取りは主に表面上は言葉によって行われている。とはい え、実際は言葉とともに行われるジェスチャーや細かい仕草などの情報量も多い。APAFでは母国語の違うアーティスト達が交流するため、そこでは主に英語が用いられていた。ただ、僕自身も英語でのコミュニケーションには苦手意識があり、そうでなくても、国によって細かいニュアンスが違うため、微妙なすれ違いなどが起きていたという話も聞いた。しかし、よくよく考えてみると、このようなことは同じ国の中でも起きていると感じた。同じ日本という国の中でも、人と会話している中で同じ言葉や単語を使っていてもすれ違いを感じることはあるし、うまく会話が成立しないこともある。これは、演劇についても感じることがある。作り手が観せたいものと、観客が観ているものにズレが存在している時である。これらのすれ違いやズレを引き起こしているのは、両者の間で共通言語的なものが形成されていない、あるいはそれが足りていないことだと感じる。

 

 これについては、LABのメンバーから学ぶことが多かった。彼らと初めてあった時、彼らはジョグジャカルタで1週間の共同生活を終えた後であったが、端から見てもそこには共通言語的な何かが存在していたように感じた。ただ、一方でそこでは中と外を、つまり、共通言語を持っている人と持たない自分との壁を感じてしまった。その後、ディスカッションや食事などで彼らと交流する機会が何度かあったが最後までその感覚は残っていた。どうにか自分からその共通言語を知ろう、あるいは新たに作ろうと働きかけられれば良かったのだが上手く出来なかった。

 APAFに参加したことで、アーティストとしてこれからどう生活していくかを考えるようになった。今まで、漠然とこの道でとしか考えてこなかったが、現在住んでいる関東で作品を作り続けるのか、地元の静岡へ帰るのか、それとも別の地域へと拠点を移動させるのか。今までの自分は、作品を何か美しいものとして存在させることに拘り過ぎていたような気がする。芸術や演劇はきっともっと生活に根ざしていて、本来はもっと生活者としての人に近いものなんだろう。今後はとりあえず、様々な人に積極的に会っていきたいと思っている。それは他のアーティストの人にだけでなく、生活者としての人に。自分が知らないバックグラウンドや考え方を  持っていたり、自分の知らない生活をしている人たちと会って、話をして、共通言語的なものを見つけようとしたい。そうすることで今の「分からない」ことが少しでも「分かる」ことへと変化していくと願って。

 今回のAPAF Young Farmers Campでは、同世代のアーティスト達や、舞台芸術へ多角的に関わる人達との交流のなかで、自分の現在の状態を掴むきっかけになった。また、今まで考えてこなかったことや、この先の選択肢を得ることが出来た。現状ではまだ「分からない」ことも多くあるが、今後の活動の中で「分かる」ようになれたらと強く思う。

 

 ディレクターの多田淳之介さんをはじめ、APAFという貴重な機会を下さった関係者の皆様、共に話をし、議論をしてくれたメンバーの皆に感謝をしたい。

APAF -Asian Performing Arts Farm-
APAFは、東京芸術祭の中でただひとつの人材育成プログラムです。アジアのアーティストたちが相互交流によって創造する力を高め、アジアを横断し世界の舞台芸術シーンを翔ける人材へと成長することを目指しています。今年から多田ディレクターのプログラミングにより、3つの柱に大変身しました。

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