漂流する窓 -地域・都市・オンライン-

酒井直之

0. はじめに

 

APAF2020のYoung Farmers Camp(以下、YFC)は、全日程オンライン開催として始まった。

コロナ禍のなか、実際に会うことは一度もなく、オンライン会場にむけて全員が日本中の異なる土地から集まった。私も初日は北海道から始まり、青森や拠点の埼玉、東京からも参加した。それぞれの役職も演出家、脚本家、俳優、ダンサー、劇場職員と異なっており、置かれている環境もさまざまだ。

 

APAF自体、アジアの多様な国の人々の集まりであるが、今年のYFCは、それを凝縮した日本若手版というような構成がなされているようにみえた。前年のYFCメンバーは活動拠点についての問題意識を共有し、どこで暮らすのか、活動するのかについて議論していた。その延長線上として私たちが存在するのかもれしれない。

 

1. 画面と想像 / From 2D to 3D

 

本年のYFCがAPAFの縮小版だと感じるのは、オンライン開催によるところも大きい。異国の人との通訳を介するコミュニケーションには、ある種の丁寧さと遅延が生まれるが、zoomを介したオンラインコミュニケーションにも類似したことが発生していた。音声の衝突を避けるために、細かなやり取りの往復よりも、話をひとかたまりのブロックにして伝達しなければならない。それが生むある種の冷静さや、画面を通したコミュニケーションの、互いの身体的要素が画一化される点(ジェンダーや身長、体格などによる関係性の変化が起こりにくいこと)は、議論の上でポジティブな効果も生んでいるように思えた。

 

コミュニケーションの遅延により、YFCのメンバーがお互いを知り合うことにはかなりの時間を要した。インターネットという新しいコミュニティスペースの中で、原始的にコミュニケーションをやり直しているような感覚があり、今でも我々はお互いの身体をある意味では知ることがなく、画面の外にある身体や生活を想像することしかできなかった。それは文脈の細部を想像することが難しい異国の人と接しているようでもあり、同じ国に住む相手に対しての想像力をつよく働かせる訓練のようでもあった。はからずも、セクシュアリティやハラスメントの意識など、土地や年齢に関係なく個人の文脈が異なっていることが当たり前になっている現在において、とても重要なプロセスに思えた。

 

2. オンラインでの表現

 

このコロナ禍にオンラインでどのような表現が可能なのか、Lab、Exhibition を見学するうちに多くのヒントを得ることができた。

Labプレゼンテーションでは、フィリピンのネス・ロケさん(舞台・映画俳優、ドラマトゥルク、エデュケーター)の制作やリサーチがどれも興味深かった。音に関心のあるネスさんは、「他国の街の環境音を、別の国の街を歩きながら聴く」こと、「街中で鳥の声を流して歩行者を振付する」こと、「理解できない異国の言語を持つ他者の親密な言葉を、翻訳せずに聞き取る"聴く"パフォーマンス」など、音に関するアイディアが豊富でずば抜けていた。サイトスペシフィックな観点から、舞台にこだわらずオンライン上でも表現の可能性があることを明確に示しており、とても勇気をもらった。

 

Exhibition のオンライン荒通しもとても興味深かった。zoomでのライブ配信は、映像や音のクオリティの面に困難が多いと思っていたが、コンセプトによっては能動的な鑑賞が可能であり、能動的な鑑賞の身体がつくられることで、実際に観ることができないディテールも「想像」で越えられるような感じがした。後日、劇場でライブ観劇も行なったが、オンラインで参加したときと違い、参加型のアクティビティ(食べ物を食べるなど)に参加できず、ライブの舞台でありながらオンラインよりも不自由さがあるのが新鮮だった。zoom内は客席であると同時に舞台であったが、現実の客席の客席性はなかなか崩せないのだと実感した。

それでもライブの身体と演奏は素晴らしく、その後もう一度オンラインで鑑賞したときは、そのディテールの感じられなさに耐えることができなくなっており、現場で身体を観ることは、知的体験というよりも身体的な体験だったのだと痛感した。

 

3. 映像ダンス - 生活の中にあるあなたとの踊り -

 

私は、コロナ禍に突入した4月から「グローカル・トレーニング」という映像ダンスプロジェクトを開始した。それは舞台芸術のダンスにある3次元的な広がりを、映像に持たせるために、ダンサー自身がカメラと関わりながら撮影をするプロジェクトであり、拠点である春日部市に住む中村駿(ダンサー、振付家)と共に始めたものだった。ローカルな場所と人の繋がりの中で映像撮影をしていく時間は充実したものでありながら、遠くの人と協働できないもどかしさも感じていた。

 

そこで今回、APAF YFC SOLOの自身の企画の中で、YFCメンバーとオンライン上で協働して「生活の中にあるあなたとの踊り」という小作品を制作した。

私が部屋で踊っている映像をYFCメンバーに送り、その映像を各自の生活エリアで再生してもらい、その再生デバイスと空間を共にした様子を撮影してもらった。

映像がデジタルであるのに対し、その再生デバイスは極めて現実的な物質である。アニミズム的な発想から、物質と関わりを持つことには、相互的な関係が生まれると考え、その様子から身体的な関わりを想起させることを期待した。

YFCファシリテーターの柴幸男さん(劇作家・演出家・ままごと主宰)からは、時間軸のある上演というよりも、オンライン上で継続的に行われている盆踊りのようであるという評価をいただき、自身で振り返ってみても、上演というよりはそれはオンライン上のコミュニティが切り取られ可視化され公開されているような、どちらかと言えば展示に近い形式の作品になったと思った。

 

従来の舞台芸術の形式を丸ごとオンラインに持ち込むことは難しいかもしれないが、舞台芸術の文脈を引用しながら新たな体験をつくることが可能なことは、APAFのさまざまな場面で体感することができた。まだまだオンライン上で身体的な体験をつくり出すまでに至ってはいないが、難しいと考えていたオンラインでの協働の一歩を踏み出すことができた意義は大きく、協力してくださったYFCメンバーやAPAF事務局の方々にはとても感謝しており、これからも実験を重ねていきたいと思えるようになった。

 

4. 舞台芸術は有効か -社会のための芸術と政治性-

 

「コロナ禍に舞台芸術は有効か?」という問いがLab 見学の際に投げかけられた。この問いを受けてから、芸術とは、誰のためのものなのか。APAF期間によく考えていた。YFC内で企画を練っていく段階でも、APAFディレクターの多田淳之介さん(演出家、東京デスロック主宰)から、「嘘でもいいから、社会に役立つようにみえるように書かないと」というアドバイスをいただいていた。企画を通すため(や、助成金を得るため)に、より「社会」のための芸術を考えていくときに、それはほんとうに包括的な、あらゆる人が含まれた「社会」が想定されているのだろうか。漠然とした「社会」というものを想定するときに、その作品や企画は虚空に放たれ、誰もたしかに受け取ることがないまま、その放物線の美しさを遠くから眺め、良し悪しを判断するだけのゲームになる可能性はないだろうか。

 

Lab のレクチャーでイカ・フェルナンデスさん(都市開発・文化研究者)のレクチャーがあった。

イカさんは、学際的な方法で、国からのさまざまな抑圧や搾取、暴力と戦っている方だったが、学際的な方法の遅さからアートを「使って」戦っていた。

弱者のために、役立つために活動するイカさんの姿勢は素晴らしく感銘を受けたが、そこから微かにプロパガンダのような(個人の誠実な活動の上で、そうではないのだが)印象も受け取ってしまうことが興味深かった。自身の中のイデオロギーがどの辺りにあるかということが、制作に影響することは間違いない。それでもイデオロギーを押し進めるために制作に向かってしまう恐れもあるのではないだろうかと考えていた。

 

芸術の有効性に懐疑的である一方で、私も、ある限定的な条件で、芸術の有効性を認めようとしていた。自身の活動を進めるなかで、地方の地域の中では、芸術は有効ではないか、という仮説を立てていた。東京に一極集中したマーケットのゲームから外れ、地方分権的に芸術が存在することができれば、アーティストと地域の豊かな関係性が築けるのではないかと考えていた。しかし、ここに芸術の有効性に依存しているという矛盾が生まれると同時に、そう簡単に芸術が有効化されないという現実が、OPEN YFC ディスカッションの中でみえてくるのだった。

 

5. コロナ禍の東京(各地方)、良いか?悪いか?

 

それがOPEN YFC ディスカッションで私の選んだ議題だった。ゲストには阿部健一さん(uni代表・演出、地域計画研究)をお呼びした。阿部さんからは、東京のローカルコミュニティの抱えるさまざまな問題をお聞きすることができたが、最も衝撃的だったのは、ローカルコミュニティにおいて、舞台芸術が必ずしも有効ではない、というお話だった。元々活動基盤のあるコミュニティを活性化することはできるが、そうではない場合、舞台芸術が短期的に働くことができても、恒常的な解決にはならないということだった。阿部さんは舞台芸術と共にローカルコミュニティの中で活動されてきた経験をいくつも持っており、その上での難しさも含めて、ハードの側面から都市計画の研究を始められたのだろうと私は推察した。

 

私は、オンラインで制作していくことは、ローカルにコミットしていくことに少し似ていると思っている。インターネットは世界中に開かれているようでいて、能動的なアクセスがなければ入ることができない。閉じられているわけではないが、(分野的に)遠くの人の侵入が稀な環境はローカルに似ており、そこには他者を排除し、外界との「分断」を招く危険性も潜んでいる。それを回避するためにも、インターネットのテーマ型のコミュニティと、ローカルの地縁型のコミュニティ、また東京などの大都市のコミュニティに対して同時並行的に関わっていく存在の必要性を感じている。東京のマーケットには懐疑的ではあるが、東京にはひとつのテーマ型のコミュニティとしての役割があり、ひとつのローカルとしての機能もある。これらを繋いでいく架け橋のような役目を誰かが担うことができたら、少しは環境を改善していくことができるのではないかと考え始めた。

 

6. おわりに

 

私は、コロナ感染拡大直前に拠点を春日部市に移し、これからの活動のことを考える日々を暮らしてきた。APAF2020を終えても尚、明確な答えは出ていないが、地域とオンライン、東京と、すべてを分断させずに関わっていく方法を(困難ではあるが)どうにか探っていきたいと、APAF期間を終えて思えるようになった。

舞台芸術は有効か?に対する明確な答えは出ていない。しかしそれぞれの環境で有効に近づける方法があるはずだと、信じられるようにもなってきた。

芸術の有効性にのみフォーカスすることの危険性は依然として存在している。時間もかかるかもしれないが、これからやってみたい(やるべき)ことが、多くみえてきていることはありがたく感じる。解決、ということがあるのかはわからないが、APAFを通して出会うことができたさまざまな視座への想像力を欠くことなく、これからも考え続け、動き続けていきたい。

APAF2020 YFC SOLO「生活の中にあるあなたとの踊り」(酒井直之)

https://naoyukis330.wixsite.com/naoyukisakai330/dancewithyouinlife

​​APAF2020 Young Farmers Camp 最終レポート >