コロナ禍、オンラインでのパフォーミングアーツをどうとらえるか?

私道かぴ

◎はじめに

 そもそも私が今回APAF YFCに参加したいと思った理由は、何より「同世代の意見を聞きたい」ということだった。京都の安住の地という劇団で活動して3年、コロナ禍で色々悶々と考えていた時期に、「あれ、こういうことを相談できる相手が劇団員しかいないというのはよくない状況なのでは…?」と初めて気付いた。自分の見えている世界の狭さに危機感を覚え、猛烈に「同世代の意見を聞きたい!」と思った。中でも特に以下の問題に関して、何とかして返答をもらいたい気持ちに駆られていた。

 

『コロナ禍においてオンラインに移行しつつあるパフォーミングアーツをどうとらえていくのか?』

 

 これは、YFCが始まった9月当初、まさに悩んでいたことだった。初夏から延期になっていたある演劇祭の公演が秋に決定し、劇団としてそろそろ動き出さねばならないタイミングだった。目下の課題になっていたのは「稽古どうする?」ということで、「オンラインの稽古で作品をつくるのは…さすがに無理だよねえ?」という空気が団体内に広がっていた。しかし、私は「このままなし崩し的に稽古場に集まる創作体制に戻っていいのだろうか」と何か煮え切らない気持ちもあった。もう大丈夫だよね…みたいな曖昧な判断で戻っていいのか?本当に??

 一方で、次々と出て来る演劇作品のオンライン配信に何かもやもやしたものを抱えてもいた。どの作品を観ても、やっぱり劇場で観るのが一番だよなあ…と思ってしまう。

 オンラインとパフォーミングアーツ。これから、この関係をどうとらえて、どう乗り越えていけばいいのか。意見を聞いて、自分なりの答えを出したいと思った。

 

◎初対面、オンラインで人はわかりあえるのか?

 YFC参加当初、私はオンラインというものに懐疑的だった。YFCのメンバーとも、実際に会って話す方が絶対にコミュニケーションが円滑に取れると思っていた。オンラインはコロナによって「仕方なく」やっていることで、実際に会うことの「代替品」という感覚を捨てきれなかった。

 物事を素直に受け取れない私は、YFC初日、ファシリテーターの柴さんの「じゃあ最初にリラックスするためにWSしましょう」という提案にも、「そうか…仲良くなるためのWSは、リモートでも行われるんだな…」などと思いながら参加していた。

 そんな中で、少し気持ちが動いたのは『家の中にあるもの当てゲーム』の時だった。これは、誰か一人が『誰の家にもあるだろうものを一つ想像し、他のメンバーがそれを当てるために質問を重ねる。全員の質問が終わったら、それぞれ一斉に「これだ!」と思った物を持ってきて答え合わせをする』というワークショップだ。鬼(?)だった酒井さんに全員で質問した後、画面から離れて「これかな?」と思うものを探している時、ふと「今、全く同じタイミングで、同じように物を探しているメンバーがいるんだな」ということを初めて想像した。PCの前に戻ると、まだ戻ってきていないメンバーもいて、「ああ、まだ探してるんだ…」「どれくらいの大きさの部屋なのかな?」と思った。「じゃあ、せーので出しましょう。せーの!」。柴さんの合図でそれぞれが持参した物を見せる。画面上にぱっと動きが出た。「うわ~それかあ!」と、目覚まし時計を持った大橋さんが言った。ちなみに答えは枕だった。色も大きさも違うそれを見て、「へえ、そんな枕使ってるんですね~」などと言って笑った。

 その瞬間、そこに映っているメンバーはただこちらが「見る人」じゃなくて、「その画面の向こうにいて、暮らしている人」になった。

 

◎日記―その人の内面を知ること

 初回のYFCの終盤、ある取り組みが決定した。それは、「週一の活動日には全員がその日のレポートを書く。活動のない日には曜日ごとの担当を決めて、それぞれが日記を書く」というものだった。結果的に、これが「その人のことを知る」という点で大きな助けになったと感じている。文章の中では、画面の向こうにいた人たちが、映画を観たり、ダンスをしたり、仕事に追われたり、稽古をしたりしていた。そこには日々の中でふと考える悩みなどがさりげなく書かれていて、次の活動日にはすっかり「その悩みを打ち明けられた人」という気持ちで参加していた。メンバーの身体の大きさやにおい、雰囲気などは決してオンラインでは伝わらないけれど、そういった外側のことをほとんど知らないまま内面のことを深く知っていくというのは不思議な感じがした。むしろ、対面で会っていないがゆえの情報の少なさを補おうとして、内面にしっかりと向き合ってその人を知ろうとしていたのかもしれない。2回目の活動日には、話し合いの時に沈黙ができても焦らないくらいにはリラックスした関係を築くことができていた。

 

◎パッと視界が開いた『街歩きWS』

 そうやってどんどんお互いのことを理解し始めていた頃、「そろそろ動きたいですよね」という提案がメンバーの中から出てきて、手探りで『街歩きWS』を行うことになった。当初あったルールは「リーダーの指示に従って『右に曲がる』や『走る』など身体を使ってそれぞれの土地を歩く」というもの。全員スマホで自分の街の景色を映しながら歩いていく。すると、画面上に映っている景色の違いがとてもおもしろく感じられた。「そんなに自然が近くにあるところにいたんですか!?」とか「え、いま歩いてるの墓地ですか?」という、家の周りやその人の生活圏に対する驚き。「そっちはとっても天気いいんですねえ~」や「あんまり寒くないです」など、その人がいま感じている感覚も段々とつかめてきた。

 不思議なのが、相手の画面を見ながら歩いていると、まるで自分が今そちら側にいるかのように簡単に錯覚してしまえることだった。一緒に体験している、というより、その人と同じことを体験しているという感じで、これはかなり衝撃的だった。実際に会ってその人と一緒に歩くのでは決して得られない感覚なんじゃないかと思ったからだ。オンラインでその人の外側が見えていないからこその、新しい形だと思った。

 このあたりから、「あれ、もしかしたら、オンライン…おもしろいのでは…?」と思い始めていた。今まで画面の前で座って話してばかりいた自分を、少し疑い始めてもいた。もしかしたら、自分はオンラインでまだ何も試していないんじゃないか。オンラインよりも実際会った方が絶対にいい、と決めつけてしまうのはまだ早いんじゃないか…?

 

◎Exhibition見学で気付いた「時間の使い方」

 YFCの活動には、メンバーと意見を交換したり実験することの他に、LabやExhibitionの稽古見学(もちろんどちらもオンライン)なども含まれていた。そこでも様々な興味深い体験があったのだけれど、中でもExhibitionの稽古見学はとても刺激的だった。

 特に驚いたのは、「時間をかけて各自の考えを共有する」という体制が徹底されていることだった。今回は日本、フィリピン、インドネシアの三カ国のパフォーマーがオンラインで作り上げる作品ということで(一部日本は稽古場あり)、稽古は基本的にオンラインで行われていた。ただでさえオンラインに移行したことでコミュニケーションの形が変わっているのに、ここではさらに時差や文化の違いも出てくる。円滑な稽古場運営のために、たくさんの工夫がされていた。

 例えば、稽古開始の『Check in』という時間。稽古開始の十数分を使って、参加者が一人ずつ近況だったり、その時感じていることを話す。天気とか、昨日観に行った映画の話など本当にちょっとした雑談なのだけれど、この時間を経るとその人がぐっと身近に感じられるから不思議だ。

 その中で、忘れがたい光景がひとつある。それは、フィリピンのボーカリストBunnyさんが「これ知ってる?」と言ってある歌を口ずさんだ時だった。美しい声で浮かび上がった日本語のその歌は、よく聞くと宇多田ヒカルの「First Love」だった。なんて綺麗な声なんだろう、と思って聞いていたら、画面上に並んで映し出された参加者たちが徐々に右に左に揺れ始めた。手をふったり、一緒に口ずさんだりして、それはあっと言う間に大きなウェーブになって画面上に現れた。

 その光景を見て、私はぶわっと鳥肌が立つのがわかった。ほとんど泣き出しそうなくらい感動していた。Bunnyさんがここに来るまでに、この歌を歌おうと思い浮かべていたこと。そして、それをこの場の全員が瞬時に歓迎したこと。違う国や環境にいる人たちが、こうして今、時間をあわせてひとつの場所に集まっている。その瞬間がどれだけ尊いものなのか、この時初めて理解したのだった。

 この他にも、稽古終わりに今日の感想などを述べる『Check out』の時間に加え、エチュードを行う前にも度々時間をかけて話し合って、各自の疑問が解消されから「やってみよう」と動き出すなど、コミュニケーションに時間をかける場面が多く見られた。なかなか作品制作に入らず話し合いばかり行われる現場に最初はじれったい気持ちもしたけれど、不明点をひとつずつ解消していく姿勢にだんだんと引き付けられていった。それまでの稽古場では、「じゃあ、とりあえずこんな感じでやってみましょう!」とある程度の疑問が残ったままなし崩し的に行っていたなあ…と、自分の稽古場を反省したりした。

 時間をかけて、言葉を重ねて相手を知り、作品をつくること。それを見て感心すると共に、でも、これって本来の稽古場でもやっておかなければならなかったな、と思う。もしかして「雰囲気で伝わっているだろう」ということにして、これまでに怠ってきたコミュニケーションが結構あったのかもしれない。

 

◎オンラインの稽古を決意…でも本当に大丈夫?

 ここまで色々なWSを経験してきて、自分なりに「オンラインでコミュニケーションを取ることはどういうことか」というのがうっすら見えてきた。稽古場をオンライン化させるか、それとも元に戻って稽古場での稽古を再開するか。迷っていた私は、YFCが始まって数回経った頃、とうとう方向性を決めた。

 劇団員に「今回は、できる限りリモート稽古で作品をつくりたい。最終的には数回実際の稽古場で稽古するにしても、ぎりぎりまでオンラインの可能性を探りたい」と伝えた。何人かの役者はしばらく考えた後、「やってみたらいいと思う。役者もできる限りのことをするし」と力強く答えてくれた。しかし、もちろん否定的な意見もあった。「オンラインでつくった作品で、おもしろいと思ったものがない」「他の現場でオンライン稽古やったけど、すごい大変だったから…」など、前向きに取り組みたい気持ちは持っていてくれるものの、それでもなかなか踏み出せない様子だった。

 そして何より、全員が気にしていたのは「それでおもしろい作品ができるの?」ということだった。稽古場に人も戻りつつあるし、劇場にもお客さんを入れられるようになった今、あえてオンラインで何かを作ったり、発表することを考える理由は何なのか。そこまでしてオンラインに労力をかけるべきなのか。

 その問いに、すぐには答えられなかった。けれど、何か心に引っかかっているものがあることは確かなのだ。

 

◎排除していた観客の存在に気付いた日

 先日の『外歩きWS』後のYFCでは、メンバー全員何か思うところがあったようで、全体が「オンラインの可能性を探っていきたい」という方向に向きつつあった。みんなでこれから追求したいテーマを話し合った時、「画面の向こうを想像する」という言葉が出てきた。歩きながら相手の暮らしや環境を想像したことで、その言葉に実感が伴っているのがわかる。「もしかしたら、向こう側を想像することで、オンラインのコミュニケーションに新たな可能性がでてくるんじゃないか」。メンバーが希望を持ってオンラインの状況を受け止め始めていた。

 その時、ふと思い立ち、劇団の状況について話してみた。稽古をオンラインにしようと提案したが、あまり肯定的でない意見も出てきたこと。それでも、何か自分の中で引っかかっているものがあって、今回はこれをやってみたいと思っていることを伝える。

「でも自分も含めて、やっぱり現場がいい、実際に会うことが一番だっていう考えがどうしてもあって…」

そう言うと、ファシリテーターの柴さんがふと口を開いた。

「オンラインになって、観劇する側としてはよかったなあって思うことがたくさんあって」

それは、オンラインでパフォーミングアーツを鑑賞するお客さんのことだった。育児に追われて劇場に行けなかった時、オンラインでいつでも鑑賞できる体制が本当にありがたかったこと。移動ができず観ることを諦めていた作品に、鑑賞の機会が得られたこと。

それは、オンライン化への移行で思いがけずもたらされた「観劇の新たな可能性」だった。私はその話を聞きながら、「自分は一番大切なことを見落としていたのではないか」と思った。オンラインに移行して制作する作品のクオリティにばかり気を取られて、肝心のお客さんのことを何も考えられていなかったのだ。それと同時に、今まで自分が無意識に観劇の機会を制限していたことにも気付いた。劇場に来られるお客さんの方ばかり向いて、そこに来られない人たちのことを全く意識できていなかったのだ。

 そのことを自覚した時、自分の中で「オンラインでの制作の可能性を探る」ということにハッキリとした目的が芽生えたのがわかった。これは「代替品」とか「その場しのぎ」で行うことではなくて、もしかするとパフォーミングアーツの可能性を広げるチャンスなのではないか。どうしたら実際の体験とは違うオンライン独自のおもしろさを作り出せるのか、本腰を入れて真剣に取り組むべきなのではないか。

 このAPAFで見聞きしたWSの気付きや感動を思い出し、なんとかできるのではないかという期待もあった。とことん取り組んでみようと決意した瞬間だった。

 

◎オンラインから生まれるものを信じてみたい

 そう決意してからAPAFが終了した今も、正直言って「これだ!」という発明ができたわけではない。オンラインで稽古を進めては「実際に会った方がいいのではないか」、配信公演を観ながら「劇場で観た方がおもしろいのではないか」と何度も思う。その度くじけそうになる。それでも、やっぱり気付いてしまったからにはもう無視することはできない。

 今後は、オンラインでの稽古や作品発表を前提として制作することが当たり前になっていく気がしている。その中で、「オンライン稽古での丁寧なコミュニケーションがあったからこそできた作品」であったり、「劇場とオンラインでまた違った楽しみ方ができる」作品を作り出したいと考えている。もしくは、「自分はオンラインで観る方が楽しい」「劇場でもオンラインでも観たい」という作品の在り方を検討していくのも、今後の目標だと感じている。

 Exhibitionの『フレ フレ Ostrich!! Hayupang Die-Bow-Ken!』の本番をオンラインで何度も観劇しながら、公演の度にブラッシュアップされていく様子にとても勇気づけられた。特に、オンライン上の観客に様々な指示を与えて、劇場の観客との明確な楽しみ方の違いを生み出していた部分におもしろさを感じた。オンラインの可能性を肯定的に受け止め、前進させようとしている現場の熱をひしひしと感じた。

 最初は否定的な気持ちから入ったオンラインのパフォーミングアーツの表現だったけれど、そういう転換期にいられることに、今はなんだかわくわくした気持ちがある。なかなかうまく行かないなりに、APAF内で気付き、オンラインの場で意識していることがいくつかある。現時点での(そしてとても当たり前な)内容ではあるけれど、書き残してレポートの締めくくりにしたいと思う。

 

【オンラインでの制作現場で心掛けていること】

 ・言葉を尽くすこと

→YFC内で行っていた交換日記や、Exhibitionでの『Check in/out』の時間のように、参加者の感情や考えを共有できる時間を作ること。また、稽古場での話し合いにとことん時間を割き、個人の疑問や不安はすぐに解消できるよう努めること。

 

 ・画面の向こう側を想像できるようなWSを行うこと

 →見えている範囲以外にもその人の生活があるということを感じられるような時間を設ける。『物当てゲーム』など、画面から一度離れたり、周りの状況を使ったものがわかりやすい。他にも時間や気候など、相手の周辺の情報を想像できるような要素があるとなお盛り上がる。

 

 ・身体性を取り入れること

 →オンラインでは見ることに集中しがちなため、身体性を置いてけぼりにしてしまうことが多かった。『外歩きWS』のように画面越しに参加者が同じような行為をするなど、身体性を共有できるような時間を設けること。瞑想など、各自が画面の前で自分の身体と向き合うものも含まれる。

 

 最後になりましたが、今回はこのような学びの機会を与えていただき、本当にありがとうございました。東京芸術祭の皆様、APAFの皆様、YFCのメンバー、そして関心をよせていただいた皆様に心より感謝申し上げます。

​​APAF2020 Young Farmers Camp 最終レポート >

Asian Performing Arts Farm (APAF)

お問い合わせ

「Asian Performing Arts Farm (APAF:エーパフ)」とは、アジアのアーティストたちが相互交流によって創造する力を高め、文化や国境を超えて活躍する人材への成長を目指す、東京芸術祭内の人材育成プログラムです。

APAF制作オフィス

Email:apaf@tokyo-festival.jp

Tel:03-4213-4293(平日 10時~19時)

© APAF2020 ALL RIGHTS RESERVED.